1985(昭和60)年10月のお召撮影記 その2

前回はお召本番の前日、土曜日の事を書きましたが今日はその続き日曜、月曜日の記憶を呼び起こしてみました
山陰線内で御料車の回送を撮ったのち、ネガではいきなりお召本番の末恒~宝木の写真になっています
一旦帰宅してどういう経路で○川氏以外誰と行ったのか記憶が定かでありません
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今回のお召と違って草刈がJRによってされていません 
夕方天気が悪いので露出もありませんが本務機は単機で運転されていました
この場所で友人のI氏は今回のお召を撮っていたようです
 
当時ここに集まった鉄仲間で安宿(確か国民宿舎?)に泊まって翌日に備えました
今だったら大宴会になっていたのでしょうが当時は小宴会だけで済んだ記憶があります
もちろん翌日は泊~松崎でお召の回送を待ちます
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天気も晴れてばっちりな露出なのですが上のコマの次はお召の回送です(ネガからの再プリのため色あせてます 出雲が2本あったはずですが撮っていません 本番の下見に行って2001レを撮っていないのかもしれませんが?こちらも記憶が定かではありません
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今回のお召 切る位置が26年前の次位のキャブの上に出ている架線柱が今回のお召の前にある物のよりもう1本前のようだ 今過去のアングルで撮るとビニールハウスがバックになるが雰囲気は変わっていない
(もう少し左にラブホがあるのだが当時のバリ鉄は男同士で泊まったようだ!話を聞くとおばちゃんが別に毛布を貸してくれたようだが?...当時から地元の方にはお世話になったものだ)
 
お召2日目は倉吉から米子までです 本務機のみの単機になり米子に向かいます
倉吉から米子にかけては基本的に海沿いを走るためすべて空バックになります
しかも大きく広がった場所はありません 当時は警備も厳しく被りつきは当然できませんのでアングルが限定されます
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倉吉~米子間は、m転メンバーのブログにあるようにたいした場所はなかった
 
米子から鳥取までの回送は1か所撮った記憶があるのだが写真が残っていない
 
さて今回ネガをみてお召だけしか撮っていないのはおそらく1枚当たりの単価が高かったのとフィルムを巻くという動作があるので巻き忘れが発生したのかもしれない 
 
まあ今から26年の前の事なので記憶が定かでないのとメモを撮っていないので記録がないので、今から行動を調べようがないので、今はブログという媒体で残すよう心がけています